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株式会社Kenビジネススクールは不動産取引を専門とする教育機関です。

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建築基準法の概要Building Standards Law

(1) なぜ建築基準法を定めたの?


 衣食住という言葉があるように、建築物は私たちの生活の営みの場としてとても重要な空間といえます。休息し生きる活力を培う場としての住宅、社会生活のシステムを構築し生産の拠点となる事務所・店舗・工場など、人間の作り出す社会は建築物なしには存在し得ないと言っても過言ではありません。
 これら建築物をつくり、維持するための条件を体系化し、社会の秩序としたものが建築基準法という法律です。
 あなたが土地を購入したとしましょう。その土地はもちろんあなたの所有物ということになります。では、その土地では自由に好きな建築物が建てられるでしょうか。自分の土地なのだから、法律に縛られず自由にしてもよいと思われるかもしれません。
 しかし、仮に建築物に関する法律がなかったとしたら、誰もが自分の土地に自分の好きなような家やビルを建てて行き、日当たりや風通し、雨水や生活排水の処理、防火や耐震、などの措置がなされていない建築物が建ち並ぶということは容易に想像できます。
 人は、衛生的で快適な住環境を望むものだと思いますが、その反面、少しでも安く、広い居住空間を確保したいという欲望もあります。自由な社会では、後者が優先される場合が多いのも事実です。
 こういったことから、建築物の安全と衛生を守り、都市の防火対策や街並みの形成を図るために、建築物に関するルールが必要となるのです。


(2) 建築基準法の沿革


@建築関連の法規制の歴史


 建築法規の歴史は古く紀元前にさかのぼります。
 紀元前1750年ころにバビロン第一王朝第6代王ハムラビが制定したハムラビ法典の中に建築に関する法規があります。そこでは、建築技術者と依頼人の関係を明確にし、建築技術者の安全確保の責任を厳しく規定しています。
 また、紀元前450年ころの記録によれば、古代ローマにおいても建築に関する規定がありました。建築物相互に5フィートの間隔を有することなどが規定されていたようです。これは、隣り合った土地の間の法的関係を定めている、わが国の民法上の相隣関係の規定のもとになったものと推定されます。
 その後、次第に人口が増加して行くと、建築物間の空間も利用するようになり、建築物は互いに接して共通の壁体で囲む習慣が発生し、インスラと呼ばれる一種の共同住宅が建てられるようになりました。土地をより有効に利用するためには必然的に建築物の高さも高くなり、インスラの中には、9階建てのものがつくられることもあったといわれています。
 しかし、こうした高層インスラは構造的に弱く、倒壊が頻発しました。そこで、ローマ初代皇帝アウグストゥスは建築物の高さを70フィート(約21.5メートル)以下とし、7階以上の建築物を禁止する命令を出しました。さらに、紀元後西暦64年第5第皇帝ネロの時代に起こった大火災の後には、道路を整備し、沿道の建築物の高さを道路幅員の2倍以下に制限しました。
 ローマの建築法規には、建築物の高さの制限だけでなく、採光、窓、排水などの一般構造に関するものや、近隣関係に関するものもあったと言われています。今も昔も、人が集まりコミュニティーを形成すると、建築に関する法規が必要となることは同じです。

Aわが国の建築規制の歴史


 現行の建築基準法及びその前身である市街地建築物法は、明治維新の影響により西欧の建築法規に由来しています。
 しかし、もちろんわが国にも古くから建築法規がありました。西暦710年(大宝元年)に制定されたといわれている大宝律令には、私邸を建てるにあたって近隣の人家を監視する楼閣を設けることを禁じる内容のものがありました。現在調査し得る限りでは、これがわが国最古の建築法規といえます。
 また、1030年頃、後一条天皇の時代には、住宅が贅沢になることを戒めて、敷地の規模を制限したり、階級により築垣(ついがき)・檜皮葺(ひわだぶき)の家をつくることを禁じた例があります。これらは、当時の封建制社会における身分制度を色濃く反映した規制であると言われています。
 さらに、江戸時代においては、建築法規の記録が多数残っています。注目にあたいするのは、大火災が頻発した江戸の町としては必然的でもある防火に関する規制です。
 1657年(明暦3年)の振袖火事、1772年(明和9年)の目黒行人坂大火、1855年(安政2年)の大地震など、大火災が発生するたびに、防火のための御触書が発布されました。明暦の大火後には、道路の拡幅、延焼防止用の「火除地」の指定、屋根の土塗り奨励や町屋の3階櫓(やぐら)の禁止などの防火措置がとられました。瓦葺きの屋根については、火災時の崩落で多数の死者が出たことから、土蔵以外に用いることが一時禁止されていましたが、1674年(延宝2年)に今日のような桟瓦(さんがわら)が発明されたことにより、1720年(享保5年)には瓦葺き禁止は解除され、1843年(天保14年)の御触書では火災後再建する町屋の屋根は瓦葺きとし、壁は土塗りとすることとされました。
 明治時代には全国規模の建築法規はなく、東京:神奈川・滋賀・山口・大阪・兵庫などで地方規制が定められていました。1879年(明治12年)の大火後に出された東京府命令では、防火路線を選定し、路線の両側に建築する建築物は、煉瓦造(れんがづくり)・石造・土蔵造の3種類のみを認めるという今日の路線防火の制度が取り入れられました。また、1886年(明治19年)に定められた滋賀県家屋建築規則は、住居の最小規模や便所の附置義務などまで含む法規だったと言われています。
 大正時代に入り、全国規模の建築法規がつくられます。1919年(大正8年)に公布・施行された都市計画法と市街地建築物法です。この市街地建築物法が現在の建築基準法の基となるものといえます。ただ、その多くは建築規制を法律に定めるのではなく、政府の命令によって加えて行くという命令委任の多い法律でした。
 第二次大戦から戦後数年間は、戦争のためこの法律の施行は停止されていましたが、1948年(昭和23年)に臨時建築等制限規則による建築統制も解除されたことから、「市街地建築物法」が再び適用されるようになりました。その際、戦後の社会に適合した建築行政を行うために「市街地建築物法」の全面改正の要望が出されたため、当時の建設省は1949年(昭和24年)から改正案作成に着手し、1950年(昭和25年)に建築基準法が施行されました。


(3) 建築基準法の変遷


@用途地域の改正


 1950年に制定された当初の建築基準法では、住居地域・商業地域・準工業地域・工業地域の4種類しか用途地域がありませんでした。しかし、社会や経済の状況を反映して改正が繰り返され、1970年(昭和45年)と1992年(平成4年)の改正を経て、現在は12種類の用途地域に分けられています。

A建築物の形態制限の改正


 1950年当初は、建ぺい率と絶対高さの制限によって行われていました。しかし、その後、経済の成長や地価の高騰などから、土地の高度利用の要求が高まったため、1963年(昭和38年)に容積地区制度が導入され、容積地区内の容積率と隣地斜線制限が加わり、高さの最高限度がなくなりました。
 さらに、建築物の高層化が進む1970年(昭和45年)には、北側斜線制限が創設され、1976年(昭和51年)には日影規制が新設されるに至ります。
 なお、1980年代後半以降は、社会の要請として、さらなる土地の高度利用を進めるため、容積率の緩和などの規制緩和措置がとられています。

B建築物の構造上の安全性に関する規定の改正


 この点についても、大地震後の被災実態調査と研究成果をもとに改正が行われています。
 宮城県沖地震後の1981年(昭和56年)には、新耐震設計という設計法が新設されます。阪神淡路大震災後の1998年(平成10年)には木造建築物の軸組の設置に関する基準が設けられました。2011年(平成23年)の東日本大震災においては津波により多くの人命が失われたことから、現在急ピッチで立法作業が行われております。

C1998年(平成10年)の大改正


 1998年(平成10年)には、建築基準法の抜本的な改正が行われました。ポイントは2つあります。
 第一に、確認申請・検査の民営化です。これまで、特定行政庁の建築主事だけが行ってきた建築確認検査業務を民間の指定確認検査機関も行えるようになりました。阪神・淡路大震災では建築物の倒壊により多くの死者が出たため、このような震災を防ぎ、建築物の安全性を守って行くには、建築確認や検査の強化を図ることが不可欠であると認識されるようになりました。しかし、行政機関によるその実施体制では十分とはいえなかったので、建築行政の民間開放措置がとられました。
 第二に、構造強度、防火に関する構造や材料などの性能規定化です。材料・後方・寸法などを具体的に定めた使用規定によらなくても、求められた性能を満たせば多様な材料・設備方法を採用できるようになりました。
 その他、連担建築物設計制度の新設、日照規定の廃止や採光規定の緩和などの一般構造に関する改正も同時に行われました。

D国民の健康に関わる法改正


 建築物と国民の健康に関わる社会問題が発生し、2002年(平成14年)には、シックハウス対策のための規制が設けられます。2006年(平成18年)には、アスベスト規制が導入されます。

E2002年(平成14年)の改正


 2002年(平成14年)に建築物の形態規制の合理化を目的として、天空率の導入がありました。天空率を満たせば斜線制限が緩和されるようになりました。
 

F2007年(平成19年)の改正


いわゆる耐震偽装事件後の改正点として、構造計算基準の見直し、確認・審査の厳格化、建築士などの業務適正化・罰則強化などが行われいます。

G2011年(平成24年)の改正


 建築基準法施行令第2条、防災備蓄倉庫(延床の1/50迄)、蓄電池(床に据え付けるものに限る。同1/50迄)、自家発電設備(同1/100迄)、貯水槽(同1/100迄)、はその床面積を 容積率に算入しない旨の改正が行われました。

H2014年(平成26年)の改正


 木造建築関連基準の見直し

 建築物における木材利用の促進を図るため、耐火建築物としなければならないこととされている三階建ての学校等について、一定の防火措置を講じた場合には、主要構造部を準耐火構造等とすることができるようりになりました。
 構造計算適合性判定制度の見直し

 構造計算適合性判定を都道府県知事又は指定構造計算適合性判定機関に直接申請できることとするとともに、比較的簡易な構造計算について、一定の要件を満たす者が審査を行う場合には、構造計算適合性判定を不要となりました。
 仮使用承認制度における民間活用

 特定行政庁等のみが承認することができる工事中の建築物の仮使用について、一定の安全上の要件を満たす場合には、指定確認検査機関が認めたときは仮使用できるようになりました。
 新技術の円滑な導入に向けた仕組み

 現行の建築基準では対応できない新建築材料や新技術について、国土交通大臣の認定制度を創設し、それらの円滑な導入の促進を図ります。
 容積率制限の合理化

 容積率の算定に当たって、昇降機の昇降路の部分及び老人ホーム等の用途に供する地階の部分の床面積を延べ面積に算入しないようになりました。
 定期調査・検査報告制度の強化

 建築物や建築設備等についての定期調査・検査制度を強化し、防火設備についての検査の徹底などが講じられました。
 建築物の事故等に対する調査体制の強化
 事故・災害対策を徹底するため、国が自ら、関係者からの報告徴収、建築物等への立入検査等をできようになりました。

(4) 建築基準法の概要


@建築基準法の目的(1条)


 建築基準法1条には、「この法律は、建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて、国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もつて公共の福祉の増進に資することを目的とする。 」と定められています。
 具体的な内容としては、@建築物の構造的安全性や防火と避難、健康で快適な生活など建築物の安全性と衛生を確保するための規定と、A良好な市街地環境を確保するための規定の2つに大別されます。

A建築基準法の体系


 「建築物の構造的安全性や防火と避難、健康で快適な生活など建築物の安全性と衛生を確保するための規定」を単体規定といいます。建築基準法では、主として第2章に定められています。これは建物自体に規制をかけるものなので全国適用という特徴があります。
 「良好な市街地環境を確保するための規定」を集団規定といいます。建築基準法では主として第3章に定められています。これは、原則として、都市計画区域内にのみ適用されるという特徴があります。
 このほか、建築基準法第1章には総則規定が置かれています。ここには、法適用の範囲、法施行のための機関や制度、手続などが規定されています。
 さらに、これらを補足する規定が第6章雑則に定められています。
 代4章には建築協定に関する事項、第5章には建築審査会についての事項、第7章には罰則規定があります。


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