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都市計画法の概要City Planning Act

(1) なぜ都市計画法を定めたの?


 都市は総合的な生活空間です。このような都市においては、健康で文化的な都市生活や機能的な都市活動が確保されるよう計画的な施設整備および市街地開発 が必要とさる一方、良好な環境を保ち、乱開発等がなされないよう適正な制限のもとに土地の合理的な利用を図ることが求められます。
 そこで、総合的で具体的なまちづくりの計画(都市計画)の決定方法とその内容を定め、それを実現するための強制力を定めた法律が必要となります。
 この要請に従って定められたのが都市計画法です。
 都市計画法は、都市を単位とした都市計画の内容、決定手続、効果等を規定したものであり、土地についての公共の福祉優先を基本理念として定めた土地基本法、総合的かつ計画的な国土の利用を図る国土利用計画法等の上位法のもとに位置付けられるものです。
 また、都市計画法は、都市全体の観点から基本的な土地利用規制について定めるものなので、建築物の敷地、構造等について規制を行う建築基準法、農地の転 用について規制する農地法、宅地造成に関する工事等について必要な規制を行う宅地造成等規制法など、他の土地関係法制とも密接な関連を有しています。
 現行の都市計画法は、昭和43年5月17日に第58国会で成立し、法律第100号として同年6月15日に公布され、昭和44年6月14日から施行されました。
 この法律がつくられた(正確には改正)理由は、第一に都市地域における土地利用計画の確立と開発規制、第二に国と地方の権限再配分の問題の解決にありま した。これら2つの問題に対する回答のほか、都市施設の範囲、都市計画制限の拡充、土地の先買制度、土地基金、住民の意見反映等、懸案となっていた新しい 注目すべき制度を盛り込み全部改正となったものです。


(2) 都市計画法の沿革


 日本における都市計画の歴史は、大きく5つの時期に分けることができます。
 第1期は、明治21年(1888年)から大正8年(1919年)までの帝都建設の時代です。
 第2期は、大正8年から昭和20年(1945年)第二次大戦終結までの都市建設の時代です。
 第3期は、終戦後の戦災復興の時代です。
 第4期は、昭和30年(1955年)から昭和45年(1970年)までの高度経済成長と激しい都市化の時代です。
 第5期は、昭和40年代後半から現在に至る現行都市計画法の施行による生活環境優先の時代です。

@ 帝都建設の時代


 日本で都市計画がはじめて制度として確立し、実施されたのは、明治21年の市区改正(現在では「都市計画」に相当するもの)条例でした。
 明治20年前後という時代は、内閣制度の確立、大日本帝国憲法制定というような、わが国が近代統一国家としてお体制の整備が実を結んできた時期でした。
 江戸時代において城下町として発展してきた伝統的な町を近代的な帝都とするための市区改正条例を制定し、国家としてはじめて都市計画の第一歩を踏み出した時期です。

A 都市計画法制定と都市建設の時代


 清国との戦争、その清国の覇権を争った帝政ロシアとの戦争、さらには第一次世界大戦を迎えるに至って、わが国の工業は著しく成長発展しました。そのこと により、大阪・京都・名古屋などでも人口の増加が目立ち始め、これらについてもそれに相応しい都市づくりを進める必要が生じました。
 そこで、当時の内務省に都市計画調査会を設けて都市計画法案の作成を急がせました。大正8年、都市計画調査会の審議に基づいて都市計画法案が立案され成立しました。これが現在の都市計画法の母体となっています。
 なお、同法は、姉妹法である市街地建築物法とともに成立しています。
 この法律により、都市計画を策定する法適用都市は激増し、市については6大市のみならず、全面的に適用され、町村についても主務大臣の指定によって適用の道が開かれるようになり、こうして都市計画は帝都建設から本格的に都市建設の時代を迎えるようになりました。
 その後、用途地域制をはじめ地域地区制度の創設、ドイツ法の土地区画整理手法の導入、土地収用法の適用等、新しい都市計画法制が追加されました。
 しかし、昭和10年代に入ると、都市計画も戦時色を濃くし、防空緑地を都市計画で定めたりもしたが、都市計画事業全体としては財源に乏しく停滞的なものとなりました。

B 戦災復興の時代


 第二次世界大戦末期、わが国の都市の多くは連合軍による空襲を受け、未曾有の被害を被りました。このため戦後の都市計画は廃墟の中の戦災復興事業に始まりました。
 昭和21年、特別都市計画法が成立し、これに基づいて全国115都市(その後88都市に縮小された)の区画整理と戦災復興事業が進められました。

C 高度経済成長と激しい都市化の時代


 昭和30年代から40年代前半にかけては、技術革新とこれをテコとした経済の高度成長の時期でした。人口も産業も、これまで以上に都市(特に大都市)に 集中し、都市は過密化し、地域間の経済格差が拡大しました。こうした中で地域間の格差を是正するための地域開発政策が重要な政策課題となりました。
 なお、この時期は、自動車の普及に、都市の道路の整備が追いついていないという問題もありました。このため道路整備五ヶ年計画ができ、ガソリン税を財源 とする道路整備が急速に進みました。また、大都市の交通難を緩和するため、近代的な高速道路が登場し、昭和34年には首都高速道路公団、同37年には阪神 高速道路公団が設立されています。
 急速な都市集中に伴ってひき起こされた宅地難を打開するため、新住宅市街地の開発、工場の地方分散を図るための工場用地の造成など、大都市対策の推進が都市計画の大きな仕事となりました。

D 生活環境優先の時代


 都市計画法の全面改正により、約半世紀にわたり都市建設の基本法として存続してきた旧都市計画法は、地方自治の精神にのっとり現代的な法制に改められる とともに、市街化区域・市街化調整区域の設定、開発許可制度の採用等、時代の要請に応じた新しい手法を発足させました。
 また、高度経済成長の副産物として公害及び環境保全が大きな社会問題となったり、異常な土地ブームにより地価が高騰したり、総需要抑制と土地利用規制が強化されたり、めまぐるしい土地事情の推移があった時期でもあります。
 なお、開発許可制度は、これらの土地対策又は環境保全の対策においても重要な役割を担い、自然保護、その他都市環境保全を重視して、生活関連公共施設の整備を推進しつつ、計画的に良い環境の市街地づくり実現をめざしてきました。


(3) 都市計画法(特に開発許可制度)の改正の動向


 現行の都市計画法は、昭和43年5月17日第58国会で成立し、法律第100号として同年6月15日に公布され、昭和44年6月14日から施行されました。

@ 第1次改正(昭和49年)


 昭和44年6月に都市計画法が施行されてから5年を経過した昭和49年に開発許可制度は大幅な改正を余儀なくされました。これは、開発行為の規制の適正化を図り、さらに一層良好な都市環境の確保を期することしたものです。主な内容は次の通りです。
・開発許可の対象区域を市街化区域及び市街化調整区域に関する都市計画が定められていない都市計画区域(いわゆる未線引都市計画区域)にまで拡大すること。
・開発行為の範囲を拡大して、一定の工作物に係る開発行為も許可の対象とすること。
・環境保全の観点から開発許可基準を追加し、樹木の保存及び表土の保全等並びに緩衝帯の設置を義務付けること。
・市街化調整区域における建築物の建築等のうち許可不要のものを追加すること(法第43条第1項第6号)。

A 第2次改正(昭和55年)


 昭和55年には、良好な環境の街区の形成を図ることを目的として、地区計画制度及び沿道整備計画制度が都市計画法に導入されました。これに伴い、開発許 可制度も改正され、地区計画又は沿道整備計画が定められている場合には開発行為の内容がそれに即して定められていることを開発許可基準に追加する旨が、付 け加えられました。

B 第3次改正(昭和58年)


 昭和58年には、地域の実情に即した開発許可制度の運用を図るため、市街化調整区域における計画的な開発の面積要件が緩和されました。
 ※ 20ヘクタール⇒地域の実情に応じ5ヘクタールまで引き下げることができる。

C 第4次改正(昭和62年)


 農業の生産条件と都市環境との調和のとれた整備を計画的に推進するため、都市計画及び農業振興地域整備計画に係る特例、双方の計画を調整するための基本方針の策定等の措置を講ずることを目的として「集落地域整備法」が創設されました。
 これに伴い、開発許可制度も集落地区整備計画に適合して行われる開発行為については、市街化調整区域内における開発許可の基準に該当するものとして、開発許可をすることができるように改正されました。

D 第5次改正(平成4年)


 昭和63年ころからの経済の過熱化(いわゆるバブル景気)による地価の高騰及び小規模な開発の増加に対応するため、三大都市圏の一定地域の市街化区域に おいて開発許可対象面積を500uに引き下げ、また、自己の業務用の建築物等に関する道路・公園等に係る技術基準を強化する等の大幅な改正が行われまし た。
 このことにより、同時に行われた建築基準法の改正と合わせて、無秩序な開発・建築行為を抑制し、良好な都市環境を確保することをめざすこととなりました。

E 第6次改正(平成10年)


 市街化調整区域における地区計画の策定対象地域を拡大し、市町村が地区計画を策定した場合には、この計画に適合した小規模な開発を誘導していくことを目的として、都市計画法第12条の5(地区計画)が改正されました。
 これを具体化するため、市街化調整区域における開発許可の立地基準である都市計画法第34条第8号の2(現行法の34条10号)に地区計画を追加し、この計画に適合するものを開発許可の対象としました。

F 第7次改正(平成12年)


 都市への人口集中も沈静化し、モータリゼーションの進展など、都市をめぐる経済社会環境は大きく変化してきました。こうした状況を踏まえ、開発許可制度 を柔軟な規制が行える体制に見直すことで、地域の実情に応じた土地利用を実現する必要が生じました。平成12年の改正の主な内容は次の通りです。
・開発許可の技術基準について、地方公共団体の条例により強化又は緩和ができること。
・開発許可の立地基準について、一定の要件に該当する場合、地方公共団体の条例え指定する区域内においては許可の対象とする。
・既存宅地制度の廃止。
・都市計画区域外における開発許可制度の導入。

G 第8次改正(平成18年)


 モータリゼーションの進展等を背景として、病院、学校、庁舎等の公共公益施設の郊外への移転や大規模な集客施設の郊外立地が進み、都市機能の無秩序な拡 散が進行してきました。目前に迫る人口減少社会・超高齢化社会を対応し、これまでの都市の拡大成長を前提とするまちづくりから転換し、さまざまな都市機能 がコンパクトに集積した都市構造を実現することが重要となりました。
 平成18年改正の主な内容は次の通りです。
・市街化調整区域内の大規模開発を許可できる基準の廃止。
・医療施設、社会福祉施設、学校等の公共公益施設を開発許可の対象とすること。
・国・都道府県等が行う開発行為について、開発許可の対象とすること(ただし、国・都道府県等と都道府県知事との協議が成立することをもって、開発許可があったものとみなす)。
・大規模集客施設に係る立地規制の強化。

H 第9次改正(平成23年)


 地域の自主性及び自立性を高めるための改革の推進を図るための関係法律の整備に関する法律で、都市計画法・建築基準法・土地区画整理法・公有地の拡大の 推進に関する法律・都市再開発法・密集市街地における防災街区の整備の促進に関する法律・農地法などで改正がありました。
 特に都市計画法では、許可権者の変更 (改正前の都道府県知事から都道府県知事等 [市の区域内では、当該市の長] に変更 )だけでなく、規定が努力目標化されたもの、都市計画の決定権者が変更されたもの、都道府県や市町村の都市計画の決定の際の協議規定の変更などもあるの で、要注意です。

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